熊野丸 竣工式典

 

先日、熊野丸の竣工祝の式典が京都府漁協湊支所様にて

執り行われ、ニシエフからも3名参列させていただきました。

 

思い返せば、平成8年建造の第18熊野丸に始まり、

平成26年建造の第28熊野丸と、船主様とは長い

おつきあいをさせていただいており、3隻目の熊野丸も

ニシエフで建造いただけたことは、とても感慨深く、

職人冥利につきるなと改めて感じました。

 

今後ともますますのご活躍・ご発展をお祈りしています。

また、漁の様子が動画配信されていましたので

リンクさせてただきましたので興味ある方は

ご覧ください。

Youtube 定置網漁業

 

小浜市 放生祭(ほうぜまつり)

こんにちは。

朝晩はすっかり冷え込むようになってきましたね!

 

先月、福井県小浜地区で開催された放生祭(ほうぜまつり)※1に

ニシエフ小浜工場入社2年目のK・Sくんが福井の伝統芸能『棒振り太鼓』※2にて

参加し、その様子が小浜商工会議所会報の表紙に掲載されましたので紹介します。

 

※1放生祭

 毎年9月敬老の日直前の土日に行われる若狭地方最大の秋祭り。古くは放生会(ほうじょうえ)(殺生を戒め、捕えた魚や鳥を放つ儀式)が行われていたことが名前の由来。現在の放生祭は御神輿のほか、山車(囃子)、神楽(太鼓)、棒振り太鼓、獅子(三匹獅子舞)の4種類の芸能を奉納する。

※2 棒振り太鼓

直径90㎝近い大太鼓と5~7個の鉦(かね)による大音響の囃子に合わせて2~3人一組の棒を使った勇壮な舞。

 抜粋:若狭小浜 放生祭より

小浜市商工会議所会報10月号  K・Sくん(写真左)

 

ちなみに、同じく先日閉幕した第73回国民体育大会(福井しあわせ元気国体)の

開会式で披露された『棒振り』にも参加し、その様子が国体ホームページにも

掲載されていました。

~福井しあわせ元気国体 9月29日 開会式トピックスより~

 

若い社員が伝統芸能で地元活性化に貢献してくれるのは

とても喜ばしいことですね!

 

被害者支援自動販売機設置

先日、山口被害者支援センター様と小串警察署様より

ニシエフに被害者支援自動販売機設置の感謝状を

表彰いただきました。

左から小串警察署長、堀井社長、山口県被害者支援センター長

 

 

今後、ニシエフ社内の自動販売機の売り上げの一部が

犯罪被害や交通事故等による被害者への

支援金として寄付されますので、見学等お立ち寄りに

なられた際はニシエフの自動販売機をご活用ください。

 

なお、表彰の模様は近日中に読売新聞にて掲載される予定ですので

興味ある方はチェックされてみてください。

 

FM山口ラジオ番組「THE mouVement ザ・ムーブマン」収録

梅雨も開け、本格的な夏の暑さを感じるようになってきましたね!

 

先日、山口県で数多くのラジオパーソナリティをされている

 

”やすべえ”こと大谷康彦さんのFM山口のラジオ番組

 

「THE mouVement ザ・ムーブマン」の746回目の放送ゲストとして

 

堀井社長が収録に参加いたしました!

 

 

便利な時代になったもので、今はラジコ等スマートフォンのアプリでも

 

全国FM局の放送を聴くことができます。

 

「THE mouVement ザ・ムーブマン」

放送はFM山口 7月15日(日)18時30分~ ですので

みなさんぜひお聴きください(^^)

 

第五十一長漁丸 進水式

こんにちは。

日中は汗ばむほど暑い日が多くなってきましたね!

先月末、まき網付属探索船「第五十一長漁丸」の

進水式が執り行われました。

餅まきも開催され、つきたての柔らかいおもちをたくさん頂きました。

餅まきのようす

 

進水後岸壁係留中 

 

船体のデザインは業社さんの娘さんのデザイン案だそうで、

黄色いラインを打ち消すラインも相まって、とても格好良い

デザインですね!

 

無事廻航を終え、今後の活躍が楽しみです!

 

 

ニシエフ出入口の苔アート

 

段々と春の日差しを感じられる程暖かくなってきましたね。

 

さて、国道191からニシエフを看板を曲がって門にさしかかるまでの

外壁に、今年に入ってから匿名の方の苔アートが描かれていましたので

ご紹介させていただきます。

 

 

一番左は富士山と日の出を表し、その隣は関門海峡から角島、油谷湾の

向津具半島(俵島)までが見事に描かれていて、下関山陰の地図と

照らし合わせることができます。

 

苔のキャンバスはまだ続いていますので、次回の大作も楽しみです!

 

経済産業省「地域未来牽引企業」選定

新年あけましておめでとうございます。

 2018年もスタートしました!

 

さて、年明け早々大変嬉しいニュースがあり、

ありがたい事に、経済産業省より地域経済牽引事業の

担い手候補となる地域の中核企業として

全国2,148社(うち山口県の企業は39社)の内の1社として

ニシエフも選ばれました!

 http://www.meti.go.jp/press/2017/12/20171222003/20171222003.html

製造、建設、サービス業など様々な分野から選定されていますので、

興味のある方は下記企業リストをご覧ください。

http://www.meti.go.jp/policy/sme_chiiki/chiiki_kenin_kigyou/chiikimirai_all.pdf

 

本年も何卒よろしくお願いいたします。

 

 

地元小噺 ~地名「粟野」の由来~

こんにちは。もう師走も終わりですね。

2017年もあと1週間を切ってしまいました。

今年最後に、長門粟野駅で発見した粟野小学校の生徒さんが

書かれた地名の由来にまつわる記事がとても上手にまとめられていたの

で掲載させていただきたいと思います。

1281年に日本へ攻めてきた蒙古軍(元寇の役)の一支隊が土井ヶ浜と

粟野川より上陸し、土井ヶ浜より上陸した部隊は神玉から滝部、田耕まで

攻め上がりました。

一方粟野川より上陸した部隊は郷西下から安崎にあがる分かれ道

(粟野橋側よりニシエフへと向かう際の川沿い)で日本軍と大きな戦闘に

なり、そのとき日本軍と蒙古軍の多くの戦死者が出て、死者の血で川の

岸が赤く染められたことから赤岸と呼ばれるようになったそうです。

 

蒙古軍は更に攻め上がって、今の粟野小学校の前の平地で第二の

激しい戦闘になり、日本軍は押し攻められ情勢が悪くなってきたときに

どこからともなく一本の白羽の矢が飛んできて、蒙古軍の大将の額に一

本の矢が刺さり、ついに大将を討ち取って日本軍は勝利しました。

そして戦死した蒙古軍の大将は粟野川の泡になり消え去ったという逸話

から、泡の字が粟になり、現在の粟野という地名になったそうです。

地名由来は他説ありますが、粟野川は別名で白羽川と呼ばれているのも

戦闘時の一本の白羽の矢にちなんでつけられたとされていて、付近の

小字に「唐の原」(当時は外国のことをすべて唐といっていたことから、

蒙古軍との戦闘があった事より唐の原と呼んだものと推測されて

います。)という文字が今も残されていることからかなり有力な説ではない

かと思います。

(参考文献:金重浩波氏「地名を決める」(豊北町郷土文化研究会『にぎめ(21)2006』より)

 

 

古代激闘の地で約半世紀FRP造船業一筋で続けてこられたこと、そして

更に半世紀先も継続できる企業として2018年も邁進したいと思います。

皆様にとっても2018 年が良い年となりますように。

 

          「赤岸」   蒙古軍と日本軍の戦闘の地